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笹沖の歴史及び概要
倉敷市倉敷地区南部の足高山と呼ばれる丘の周囲で、同山北部を東西に国道2号、東部を南北に市道倉敷市道駅前古城池霞橋線(古城池線)が走り、その周辺は商業集積地となっていて、それ以外の地としては宅地が多く立地しています。
国道2号により南北に分けられ、北部は田ノ上などとともに大高、南部は吉岡などとともに葦高地域となり、大高は倉敷南中学校区、葦高は新田中学校区となっています。
安土桃山時代以前、笹沖一帯は海で足高山は「小竹島」(ささじま)と呼ばれる島で、笹沖の地名はそれが由来です。 江戸時代、足高山周辺の海域・干潟の新田開発によって当地は誕生し、岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)の領分となりました。
現代においては、かつては田園地帯で、農家の他には個人商店等が点在するに過ぎませんでしたが、新たな幹線道路建設などにより発展し、人口が増加しているのが現状です。
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